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Interviewsアスリート・インタビュー

「桃田賢斗は僕の…」 初めて語る同学年の「天才」への思い 
勝ってなお、深まるリスペクト

バドミントン日本代表・西本拳太

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新企画「ジェイテクトアスリート・インタビュー」が始まりました。各界の最前線で戦うジェイテクトアスリートの知られざるエピソードを深掘りし、紹介していきます。

第1回は、バドミントンS/JリーグでNo.1 & Only Oneの存在を目指すジェイテクトStingersから、今季新加入で日本代表としても活躍する西本拳太選手を取り上げました。日本男子シングルスの大黒柱・桃田賢斗選手を相手につかんだ1勝の意味に迫ります。
(インタビュー日:2022年11月25日)

17年越し、桃田から“国内初白星”

カウント20-16で迎えたマッチポイント。20回を超えるラリーの末に打ち上げられた山なりのロブが、西本拳太の頭上を越える。確信をもって見送ったシャトルがコートの外に落ちた瞬間、両膝をつき、吠えた。

「しんどい場面でも、自分のやるべきことに集中できた。それが過去の対戦との違い」。

2022年11月6日に秋田県由利本荘市で開催された、ジェイテクトStingers対NTT東日本のS/Jリーグ第2戦。同学年で元世界ランキング1位の桃田賢斗から奪ったシングルス戦での1勝は、西本にとって17年越しとなる“国内初白星”だった。

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S/Jリーグ第2戦で桃田賢斗(コート手前)に勝利し、膝をついて喜ぶ西本拳太(同奥)=2022年11月、秋田県由利本荘市で(バドミントン・マガジン提供)

小学5年から背中を追い続け

三重県伊勢市で育った西本と香川県出身の桃田は、ともに1994年生まれの28歳。初対戦は「多分、小学5年生」(西本)と少年時代までさかのぼる。

互いに世代を代表する選手でありながら、ナンバー1の座に君臨していたのは常に桃田だった。高校卒業までの対戦成績は西本の全敗。自身が中央大学をへてトナミ運輸に、桃田が高卒でNTT東日本に加入した後も、背中を追い続けてきた.

年間20大会近く参戦する海外ツアーのトーナメント序盤に限れば、桃田に黒星をつけたことはある。ただ、「日本国内での勝負は別物」。トップ選手の国内戦への出場は注目度の高い数大会に限られる。多くのファンが駆け付け、より重要性が高まる舞台で桃田に勝ったことは一度もなかった。

桃田が世界選手権連覇を成し遂げた2019年には、日本一を決める全日本総合選手権の決勝で対峙。だが「強すぎて、試合中に笑いがこみ上げた。これは無理だと思ってしまった」と終始圧倒され、ストレートで敗れた。

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トナミ運輸に所属していた2019年、全日本総合選手権の表彰台に立つ西本㊧。決勝で桃田㊨に完敗し、準優勝に終わった=東京都世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場で(西本選手提供)

「あと一歩」から10年 重圧を克服

学生時代から「勝てると思ったことはない。嫉妬するのも何か違う」と仰ぎ見た天才。それでも過去には、大舞台にあって、あと一歩まで肉薄した試合もあった。

2012年8月に福井県で開催されたインターハイ個人戦の準決勝。

第1ゲームを四度のデュースの末、25-23で奪った。連取すれば勝ちが決まる第2ゲームも接戦に持ち込む。中盤に差し掛かった15-15の場面で突如、手が震え始めた。

「いけるかもって一瞬でも思ったことに、プレッシャーを感じてしまった」。

ミスを重ね、19-21で競り負けると、最終ゲームも14-21で落として敗戦が決まった。重圧に押しつぶされた結果、「何をやろうか迷ってしまった」という反省だけが残った。

10年の時をへて、秋田の地で“初白星”をつかんだ一戦も、高校時代の苦い敗戦と同じ第1ゲームを先取する展開で進行する。勝負所もあの時と同じ第2ゲーム中盤、優勢を保ちながら3連続で失点して迎えた17-14の局面。

「手は少し震えていた。でも、それくらいがちょうど良いと思えた」。

コートを広く使った奥行のある攻撃で桃田のネット際でのミスを誘い、流れを引き戻した。「相手が迷っている表情まで見えていた。ミスを引き出すプレーができた」と歓喜の瞬間まで冷静さを失わなかった。

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S/Jリーグ第2戦で桃田と対戦する西本=秋田県由利本荘市で(Ⓒプリッツプロモーション)

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