Interviewsアスリート・インタビュー
「負けてニュースになるっていうのは本当にすごいこと」
2021年の東京五輪で代表入りを逃してから1年あまり。雌伏の時を乗り越え、22年4月にジェイテクトに加入した。
以降、国別対抗戦「トマス杯」で4戦4勝、世界選手権では16強入り。さらには9月のジャパンオープンを制覇し、初の国際タイトルを勝ち取るなど、右肩上がりの成長と躍進を続けている。
結果を残すことで得た自信が、秋田での桃田戦で昇華したと感じている。一方で、てらいなく「(桃田戦の勝利に)やってやった、とかっていう感慨はない」と言い切る。むしろ、より大きくなったのは桃田へのリスペクトの思いだ。
「僕が『常に、絶対勝たないといけない』という立場で試合をするようになったのはジェイテクトに入ってから。桃田はずっとこのプレッシャーの中で戦っていたんだなって。秋田での試合も、チームの負けを決める試合にならなくて本当によかった」。
国内最高峰のバドミントンリーグであるS/Jリーグは、ダブルス-シングルス-ダブルスの3試合でチームの勝敗を争う。この日、ジェイテクトは初戦のダブルスを落とし、西本は後がない状況で桃田戦を迎えていた(最終結果はダブルスで二敗し、1-2の敗戦)。
リーグ屈指の強豪で充実した戦力を誇るトナミ運輸在籍時には、自身に過度な重圧がかかる場面はほとんどなかった。桃田が絶対的なエースに君臨してきた日本代表でもそう。直前の2年間を過ごした岐阜県バドミントン協会時代はリーグ戦への参加がなかった。
しかし、発展途上の若い選手が多いジェイテクトではどんな局面でも勝ち星が計算される。「勝って当たり前、負けてニュースになるっていうのは本当にすごいこと」。その領域に達しながら勝ち続けてきた同い年の選手に対し、「一番大きい気持ちはリスペクト」と繰り返しうなずいた。
試合前に円陣を組むジェイテクトStingersの選手ら=秋田県由利本荘市で(Ⓒプリッツプロモーション)
年間100日は同部屋で宿泊 「桃田は究極の負けず嫌い」
10代からともにメンバー入りし続けている日本代表チームの中では、桃田と最も長く同じ時間を過ごしてきたという自負がある。
遠征時には決まって同部屋。海外ツアー大会が日常的に開催されるバドミントンの競技特性もあり「年間100日くらいは同じ部屋で寝ていると思う」という、文字通り寝食を共にする仲。「試合が終わった自由時間でも、本当にバドミントンの話しかしない。競技に対して誰よりも真剣で絶対手を抜かない。究極の負けず嫌い」という性格が西本の桃田評だ。
そんな桃田の言葉に救われたこともある。
大学屈指の好選手として鳴り物入りでトナミ運輸に加入した2017年夏、極度の不振に陥った。勇んで参加した海外ツアーでも予選敗退が続く日々。
「もう俺、終わりだな」。遠征先のカナダ・カルガリーの宿舎での夕食中、思わず弱音が口をついた。「いや、お前はそんなんじゃ終わらないと思うよ」と即座に反応したのが、同席していた桃田だった。
「桃田は絶対忘れていると思うけど、僕はその時何を飲んでいたとか、はっきり覚えている」。
5年が経った今でも鮮明に記憶に残ることもなげな口調に、強く背中を押された。徐々に調子を取り戻すと、3か月後には元世界ランキング1位のマレーシアの強豪選手を破る大金星で復調をアピール。殻を破り、一気に世界ランキング上位に駆け上がった。
同い年の日本代表メンバーとして、遠征先では寝食を共にする西本㊧と桃田㊨=2018年、フランスで(西本選手提供)
「友達」でも「ライバル」でもなく…
初対戦からの17年間を振り返り、西本にとって桃田の存在とは。友達、というのは少し違う。当然ライバルではあるけれど―。数秒の思案の後、紡いだ言葉は「同志」だった。
「彼とはずっと苦楽をともにしてきた。まあ、自分は『苦』ばっかりでしたけど」といたずらっぽく笑いながら、自然と語気に力がこもる。
「桃田がいなかったら僕はここにいない。彼がいなかったら、スーパースターに勝ちたいという気持ちもなかった。同じ年に生んでくれたことを両親に感謝している。一つ学年が違ったら違う世界になっていた」。
西本が今年になってメディアに向けて多用する「これからが全盛期」という言葉には、日本の男子シングルスを長く引っ張っていく覚悟も反映されている。桃田と同じ領域に、という思いも強まった。
2000人以上の観客が集まった秋田での一戦でも「『俺と桃田の試合だぞ!お客さん、もっと入ってくれよ!』と思ってコートに立っていた」。桃田との両輪の活躍が、日本のバドミントン界を盛り上げると信じている。
年末には「海外のどんな大会よりも緊張する、特別な舞台」という全日本総合選手権が控える。大学4年時の2016年大会で優勝を飾っているが、桃田は不参加だった。18年、19年はいずれも決勝で敗れている。
「優勝への期待が過去一番高まっているのは自覚している。プレッシャーを力に変えたい」。
真の日本一をつかんだ先に、2024 年パリ五輪への道が続いている。
(敬称略)
2022年末の全日本総合選手権に向けて練習を重ねる西本=愛知県刈谷市のジェイテクト体育館で