Interviewsアスリート・インタビュー
オリンピック出場を目指し、たくさんの人から応援してもらえた6年間
入社式の翌日から、同期とともに新入社員研修に参加した。午前の講義を受けた後は練習に向かっていたため、午後の研修内容を翌朝同期から教わる約1か月半を過ごした。その後は奈良工場の設備・副資材関係の調達部門に配属され、決裁書類の整理や発注業務を担当。午前中は仕事、午後はウエイトリフティングという生活を3年間過ごした。
調達部門の職場では取引先企業の数が多いため、練習に向かうまでの業務時間内にたくさんの決裁書類を整理しなければならない。発注業務においては難しい専門用語に苦戦したが、職場の先輩たちが関連する会社のパンフレットを使いながら丁寧に説明してくれた。奈良工場の同期はもちろん、他部署の社員までもがオフィスで森下を見かけると「今度の試合頑張ってね!」と声をかけてくれる。森下にとって初めての世界選手権は2019年にタイで開催された。この時、タイのジェイテクト現地法人からたくさんの社員が応援に駆けつけてくれた。
社業と競技の両立という状況もそうであるが、学生時代と社会人とでは試合に臨む姿勢や日ごろの過ごし方も大きく変化したと言う。学生時代の練習では部員共通メニューをこなす必要があったが、社会人になってからは自分専用の練習メニューを自由に決められることもあり、のびのびと練習できる環境であったことと、新たに始めたメンタルトレーニングが相乗効果を発揮し、記録がグンと伸びた。
意外なことに、毎日バーベルを触っている彼女でも、練習の時は試合ほどのアドレナリンが出ないために「怖い」という気持ちになることもあれば、「失敗したくない」という意識が強くなり過ぎて、かえって失敗ばかりしてしまうこともあるそうだ。それをメンタルトレーニングによって、常に良いイメージでの練習ができるようになり、「怖い」という気持ちも和らいでいった。
入社4年目からはパリオリンピック出場を目標に、十分な練習時間を確保するべく、調達業務を離れ、競技に専念することに決めた。2021年の第35回全日本女子ウエイトリフティング選手権大会では220㎏(スナッチ:100㎏、クリーン&ジャーク:120㎏)という記録で優勝を飾り、前回大会に続く2連覇を達成した。
<(写真左)2020年の日本選手権ではトータル227kg(スナッチ:102kg、クリーン&ジャーク:125kg)で優勝、(写真右)翌2021年の同大会でも優勝を果たした>
ただ、度重なるケガにも悩まされる。「ケガは治るものだから、くよくよしない」と前向きにリハビリと練習に取り組んでいたが、オリンピック出場という夢はついに叶えることができなかった。そして森下は2024年3月末をもって選手を引退し、新たな道を歩むことを決めた。
これからは「恩返し」をしたい
森下は、「母校、奈良県、ジェイテクトをはじめ、たくさんの人からの支援のおかげでウエイトリフティングを続けてこられた。選手という立場を離れても、ウエイトリフティング振興に貢献できるように強化選手たちのサポートをすることで、これまで支えてくれた人たちへの恩返しをしていきたい」という、これからの目標を教えてくれた。
2024年4月からは、学生時代に取得していた保健体育の教員免許を活かしたいという想いと奈良県からの声掛けもあり、奈良県内の特別支援学校に入職する。これから森下にとって新たな挑戦の日々が始まる。
<(森下)「今、なんで上げきれなかったと思う?」-(学生)「肩より上にあげるタイミングで止まりすぎちゃって・・・」-(森下)「タイミングが合わなくてスッと持ち上げられなかったね。さっきまではどうだった?」と高校生を指導する森下>
これまで応援してくださった皆さまへ
長い間応援していただき、ありがとうございました。皆さまのサポートが無ければ、ここまで頑張ってこられなかったと思います。
そして、13年間競技人生を全うできた自分を誇りに思います。
本当にありがとうございました。