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Interviewsアスリート・インタビュー

「ウエイトリフティングが好きだからこそ、頑張り続けられた」
13年間の競技人生と、新たな挑戦へ。

ウエイトリフティング女子87㎏級・森下 伊万里

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今回のアスリートインタビューでは奈良県宇陀高校榛原学舎を訪問し、ウエイトリフティング部の高校生と練習を共にする森下 伊万里選手を取材しました。

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ウエイトリフティングは、バーベルを床から頭上に一気に持ち上げる『スナッチ』と、一旦肩の高さまで持ち上げたバーベルを頭上に持ち上げる『クリーン&ジャーク』の2種目があり、それぞれ3回トライした内の最重量記録の合計を競うスポーツです。

森下は1995年・奈良県橿原市出身。高校1年生からウエイトリフティングを始め、20144月にウエイトリフティングの名門・金沢学院大学入学、20184月に新卒でジェイテクト入社。入社から3年間はジェイテクト奈良工場にて調達業務と両立しながら練習に励み、4年目からはパリオリンピック出場権を掴むべく競技に専念。

これまでに
2017年 全日本ランキング2
2018年 全日本選手権 準優勝
2018年 全日本女子選抜 優勝
2018年 ラスベガスオープン(国際大会) 準優勝
2020年・2021年 全日本選手権優勝(2連覇)
といった数々の大会で華々しい成績を残してきた彼女ですが、20243月末をもって現役生活に幕を閉じる決意をしました。

「辛いことがあっても、ウエイトリフティングが好きだからずっと頑張ってこられた」そう強く語る彼女が送った挑戦の日々と、これから歩む新たな道についてお伝えします。
(インタビュー日:202434日)

水泳から転身して始まったウエイトリフティング人生、練習を2日続けて休んだことはない。

森下は小学校1年生から高校1年生まで水泳に励んでいた。ウエイトリフティング人生のスタートは高校1年生の秋ごろ。中間テストが終わり、放課後の中庭で友人と談笑していると、ウエイトリフティング部の顧問から「ウエイトリフティングをやってみないか?」と勧誘された。
「新しいことに挑戦してみたい」という理由で実は高校進学当初から水泳を辞めてもよいと考えていたため、その誘いに乗った。女子一人では心細かったので、その場に居合わせた友人をマネージャーとして一緒にウエイトリフティング部に入部を決めた。入部して半年ほどは水泳を週3日・ウエイトリフティングを週3日練習していたが、高校2年生で水泳に区切りをつける。

水泳とウエイトリフティングは全く畑違いの競技ではあるが、持ち前の運動神経の良さと柔軟性が活かせる競技ということで、ウエイトリフティングは森下の中であっという間に「得意なスポーツ」に昇格した。

森下のウエイトリフティング人生は出だしから好調のように見えるが、もちろん課題にも直面した。「私は脚の筋肉が弱く、それは今でもスクワットが弱いという課題になっている。自分の中ではトレーニングを積んで成長できていても、それは周囲に比べたら劣っていると感じる」と森下は言う。トレーニングメニューをコーチに相談したり、SNSで海外選手のトレーニング動画を見たりして、課題を克服しながら成長に繋げる日々だった。
見つけた課題に対して自然と「これに挑戦しなければならない」という思考になるのは、「不安の裏返し」でもあるようだ。「これをしないと弱くなるかも知れない」と、不安にならないように行動に移す日々。練習を2日続けて休むことは一度もなかった。周囲と比較して焦りを感じることもあったが、それでもやっぱり頑張り続けられたのは「ウエイトリフティングが好きだから」だ。

高校卒業後は全国屈指のウエイトリフティング強豪校である金沢学院大学に入学した。

全国から集まったトップレベルのライバルたちに囲まれて緊張感もあったが、「自分が苦しいときは周りも苦しい時」と前向きに考え、仲間と支えあって一緒に乗り越えてきた。振り返ると濃い4年間を過ごした、と森下は懐かしむ。
中でも、「トップレベルの選手が集まる金沢学院大学での厳しい練習に、諦めずについていけた自分を誇りに思った」と森下が語ったエピソードがある。
2012年ロンドンオリンピック女子75kg超級に出場した憧れのOBである嶋本 麻美さんからもらったサイン色紙に書かれた「目指せ200㎏」の言葉。当時の森下の自己ベストは170㎏。色紙の言葉を毎晩寮で眺め、練習に打ち込む日々を繰り返し、気が付くと大学2年生の頃に200㎏のバーベルを持ち上げていた。自分が嶋本さんと一緒に戦えるレベルに到達できた喜びを実感した。

恩師の言葉がなかったらきっと大学卒業とともに競技を辞め、ジェイテクトに入社することもなく、社会人として色々な経験を積むこともできなかっただろう

試合会場で緊張して実力を発揮できないことはあるのか?という筆者からの問いに、「試合会場で緊張するのは平常運転だから大丈夫!他の選手とのおしゃべりで楽しくなって、いつの間にか緊張がほぐれている」と答えるほど陽気な性格の森下が顔を少し暗くしながら語ったのは、大学4年生の頃の苦い経験だ。

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トップレベルの学生なら誰もが憧れ、学生のためのオリンピックともいわれるユニバーシアード競技大会。森下は日本代表候補に選ばれたにも関わらず、その後の日本選手権で記録が伸び悩み、結果的に出場を逃した。
ケガを乗り越え、絶え間無い努力を重ねてきた森下にとってユニバーシアード出場という大学生活最大の目標に一歩及ばなかったことは、言葉に表せないほどの悔しい結果であり、ウエイトリフティングを辞めようと考えるまでであった。

森下は所属していたゼミの教授に相談した。「悔しいと思っているときに競技を辞めると後悔が残るよ」という教授からの言葉で、ウエイトリフティングを辞めるのを辞めた。

その恩師とは、金沢学院大学で女子柔道部監督を務める渡辺 涼子教授。渡辺教授は1992年バルセロナオリンピックの柔道女子66㎏級に出場した経験もあり、森下の苦しさを深く理解してくれた。森下にとっては、違う種目の監督であることと同性であることから気兼ねなく相談できる相手でもあった。競技を続けることを後押ししてくれた渡辺教授とは現在でも連絡とっており、金沢学院大学の生徒が奈良県で合宿するタイミングで会うような関係が続いている。

「渡辺教授の言葉がなければ、ウエイトリフティング選手としてジェイテクトに入社して社業と競技の両立を経験したり、様々な練習拠点で出会う人たちから刺激を受けたりすることもなかった。ウエイトリフティングを辞めなくて良かった」と再び笑顔を見せた。

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<自分の人生を良い方向に導いてくれるような人に恵まれたことについて、「自分でも人望があると思う!」とニッコリ。ひたむきに努力する彼女を誰もが応援したくなるのだろう>

進路を決めた1通の手紙

大学卒業を控えていた森下の進路は、201710月のある1通の手紙で決まった。

森下は、企業と現役トップアスリートをマッチングする日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度であるアスナビの勧めで、スポーツ支援に注力する企業に手紙を送る準備を始めた。
企業探しをする中で、森下は地元・奈良県橿原市に「ジェイテクトアリーナ奈良」という体育館があることを思い出した。
ジェイテクトについて調べると、トップリーグで活躍するバレーボールチームやバドミントンチームを持つ、愛知県に本社を置く会社だと知った。「きっとスポーツ支援に理解ある会社だ」と意を決し、当時のジェイテクトの社長に手紙を送った。

手紙には、ウエイトリフティングはマイナーではあるが日本には世界大会で上位を獲得する優れた選手が増え、これから盛り上がっていく競技であること、そして自身がユニバーシアード出場を逃した悔しさやケガを乗り越えながら東京オリンピックを目指して厳しい練習に励んでおり、ジェイテクトを背負って世界で活躍したいという熱意を3枚に及ぶ原稿に綴った。

アスナビの担当者から「20社に送って1社返事が来れば良い方」と聞いていたため、1社にしか宛てていない手紙に良い返事が来ないかも知れないと諦めかけていたところに電話が鳴った。森下の熱意が伝わり、ジェイテクトの採用担当者が奈良県まで訪ねてくることになったのだ。ジェイテクトへの入社が決まった。電話をもらったときの驚きと緊張を森下は今でも忘れられない。

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<森下が大学4年生の頃に当時のジェイテクトの社長に宛てた手紙からは、ウエイトリフティングの振興に貢献したいという想いが読み取れる>

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