Interviewsアスリート・インタビュー
20年間闘い続けた経験を活かして指導者へ。
新たな目標に向かって、これからもレスリング人生は続く・・・
レスリング女子フリースタイル68kg級・松雪 成葉
今回のアスリートインタビューではレスリング・松雪 成葉選手を取材しました。
ジェイテクトではこれまでにもレスリング選手を支援しており、2011年全日本選抜選手権女子51kg級で優勝した田野倉(旧姓:志土地) 希果さん(2015年4月入社、2018年に現役引退・社業に専念)、2016年全日本選抜選手権63kg級で優勝した栄 希和さん(2016年4月入社、2020年に現役引退)、2021年東京オリンピックレスリング女子フリースタイル53kg級金メダリストの志土地(旧姓:向田) 真優選手(2020年4月入社)が活躍。
松雪 成葉選手は、1999年・愛知県刈谷市生まれ。2022年4月に双子の姉・泰葉選手(女子フリースタイル76㎏級)とともに、地元・愛知県刈谷市に本社を置くジェイテクトに入社しました。
二人は入社から半年後の10月にスペイン・ポンテベドラで開催された23歳以下(U23)世界選手権大会にて、姉妹そろってメダルを獲得した経験もあります。
そしてこの度、2024年3月末をもって妹・成葉選手が現役を引退し、今後は宮崎県都城市で指導者として新たなキャリアを積んでいくことになりました。
「もらったメダルは数えきれないほど」という彼女のこれまでの長い競技人生を振り返りながら、これからの大きな夢への挑戦について語ってもらいました。
【松雪 成葉選手の主な戦歴】
・2023年 アジア選手権 3位
・2022年 U23世界選手権大会 準優勝
・2022年 全日本選抜選手権 準優勝
・2021年 全日本選抜選手権 優勝
・2021年 全日本学生選手権 優勝
・2020年 アジア選手権 準優勝
・2019年 ワールドカップ 優勝
・2019年 全日本学生選手権 優勝
・2019年 世界ジュニア 優勝
・2018年 全日本選抜選手権 優勝
・2018年 ワールドカップ 優勝
・2017年 全日本選手権 優勝
・2017年 U23世界選手権 準優勝
(インタビュー日:2024年3月6日)
胎教の賜物か?母のお腹の中にいるときからレスリングクラブ通い
「レスリング自体は3歳の頃に始めた“らしい”」と言う松雪は、レスリング一家で育つ。
父がコーチを務める刈谷レスリングクラブで、2歳上の兄・泰成の練習に付き添ううちに自然と自身もレスリングを始めたが、実質的には、兄を送迎する母のお腹の中にいる頃から松雪姉妹はレスリングクラブに通っていた。レスリングクラブのマットの上で転がされている姿や、父がコーチとして帯同する試合会場の隅に置かれたベビーフェンスの中で3兄妹がハイハイをしている姿なんかも、とあるレスリング経験者から目撃されている。レスリングがあることが当たり前の環境で育った。
そんなレスリング漬けの一家であるため、練習後の食卓ではお互いへのアドバイスや憧れの選手などレスリングの話題で持ちきりかと思いきや、意外なことに家庭では全くレスリングについて触れないそうだ。理由は「レスリングの話をすると、私がふてくされちゃうから」とのこと。
松雪はレスリングを始めた3歳の頃から大会に出場しているので、これまでに獲得したメダルは数えきれないほど。部屋には全て飾れないので「兄妹3人分まとめて実家の押し入れにボンっと入れてある」と笑う。“メダルで溢れかえる押し入れ”というものがこの世に存在しているという事実に、筆者はため息をつくのがやっとであった。
近頃の松雪は、目前に迫る宮崎県への引っ越しに向けて、社会人になってから獲得したメダルや賞状、国際大会で着用したJAPANユニフォームの箱詰めで大忙しな様子。
<机上に置かれているのは2022年に中国・杭州で開催された第19回アジア競技大会で獲得した銅メダル。「これは、ちゃんとした箱に入っているからありがたい!」とのコメント>
レスリングの超名門 至学館での、苦悩と成長の7年間
幼少期から小学生までは週2日、体操教室に通うような感覚で練習していたのを、中学生になってからは練習を週5日に増やした。中学3年時にはジュニアクイーンズカップ 中学生の部57kg級及び全国中学生選手権と全国中学選抜選手権の62kg級で優勝した。そして、数々のオリンピアンを輩出するレスリングの超名門・至学館高校及び大学に姉・泰葉と揃って進学。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは女子日本代表選手全員が至学館大学出身。松雪はこのオリンピアンたちと至学館で練習をともにした。偉大過ぎる諸先輩方と直接話せる機会は多くはなかったが、それでも試合中に積極的に声援を送ってもらえたことは嬉しかったと同時に、至学館の強みを感じた部分でもあった。
至学館のレスリング部は全寮制であるため、松雪は親元を離れた。初めての寮生活に慣れない部分が多く、思ったような成績を修めることができずに悩んだ時期もあった。それを克服するのは「ひたすら練習するのみ」と断言する。
高校3年生の全日本抜選手権大会の直前、良い結果を残せておらず焦りやもどかしさを感じていた松雪。他の部員が2時間程度で練習を切り上げていくのを尻目に、志土地 翔太コーチ(現・ジェイテクトレスリング部監督)の厳しい指導の下で寮の門限ギリギリの21時頃まで一人居残り練習、翌朝5時から朝練をこなして試合会場に向かった。そのうえ、試合が終わった足でそのまま学校のレスリング場に戻り、再び練習に励んだという。まさに“練習の虫”とはこのことだ。
そして、松雪はその大会で優勝している。全国の高校・大学から強豪選手が集まり、尚且つ世界選手権への出場を掛けた非常に重要な大会で、松雪の高校生活の中で初となる優勝を飾ったのだ。
<「めちゃくちゃ練習したから絶対に勝ちたい」という強い気持ちが初優勝という最高の結果につながったことは、松雪のレスリング人生で最も嬉しかった出来事であり、その後のレスリングに対するモチベーションを劇的に高めた出来事でもあったと振り返る>
彼女を成長させたのは後輩の存在も大きい。練習で先輩が後輩を指導するのはもちろんのこと、寮生活では学年ごとに食事の後片付けや買い出しなど役割があり、先輩が後輩に寮生活で必要な仕事を教える。
先述の通り、高校進学後しばらくは大会成績が芳しくなかった。レスリングを辞めようと考えていた時期もあったが、学年が上がるにつれて「自分がしっかりしていないと後輩がダメになる」という心構えに変化し、かつての自分と同じように不安そうな顔をしている後輩にも手を差し伸べられるようになっていった。後輩を指導してくうちに練習で周りのペースについていけるようになり、大会成績にも徐々に反映されていった。
双子の姉・泰葉をはじめ、練習・遠征・寮での生活で常に一緒にいる至学館の仲間たちはライバルでもあり家族のような存在でもあり、心強く、いつも励まされた。
さて、高校生には定期テストが付き物である。遠征で1週間学校の授業に出席できないこともあるため、テスト週間にクラスメイトからノートを借りて追い込んだ。松雪が練習の虫でいられたのは、ノートを貸してくれるような理解あるクラスメイトの存在も重要だったであろう。
双子の姉妹揃ってジェイテクトに入社。常に自分と向き合うレスリングを。
大学卒業後は、地元・愛知県刈谷市に本社を置く企業に就職したいという理由からジェイテクトへの入社を決めた。姉妹揃って入社できることが一番の決め手であった。
<双子で一緒にいると心強いのか?と質問すると、「ん~、別にそうでもない(笑)」との返答が。姉・泰葉はどうなのだろうか。機会があれば同じ質問をしてみたい>
社会人になり、サポートしてくれる人が増えたことで「会社のために頑張ろう」という心境の変化があったが、最も影響があったのは、やはり住み慣れた愛知県を離れて練習拠点を東京に移したことだった。入社後は兄・泰成の所属する専修大学を練習拠点とした。
学生時代と異なり、自分専用の練習メニューを組むことができたり、自分より体格の大きな男子大学生と練習したりすることで更なる高みを目指した。
そんな中、社会人1年目の2022年、試合中に起きた2つの大きな怪我で2か月間全く練習ができない日々を初めて経験した。それはアジア選手権での出来事だった。2試合目で右足首の靭帯を損傷しながらも相手を下す。3試合目以降を棄権するという選択肢もあったが、「日本チームとして参加するので棄権したくない」という気持ちから臨んだ3試合目で、右足首に続き左膝の内側靭帯も損傷してしまった。
2か月間練習ができない状況に焦りは感じたかと聞くと、「治療が明けたらすぐに出場が予定されている試合があったので、その試合に間に合うように、くよくよせずに自分のことに集中してひたすら治療とリハビリに専念した」と、前向きな言葉が返ってきた。
国内で開催される試合は、コロナ禍を除いて殆ど全ての会場に家族が応援に駆けつけてくれていたそうだが、「家族が応援してくれているから頑張ろう」といったことは特に意識しないタイプだそうだ。また、試合前にモチベーションを上げるためのルーティンも無いという。その理由は、ルーティンが崩れた場合に、「ルーティンが崩れたせいで負けた」と感じてしまうから。また、“マイペースに過ごすこと”が彼女にとっては最良の状態のようで、目標とする選手も特に設けず、ライバル選手を意識しての練習もしない。
志土地 翔太監督や兄からのアドバイスを受けながら、常に自分と向き合うレスリングだった。
<写真左がジェイテクトレスリング部の志土地 翔太監督。高校時代には「めちゃくちゃ怒られながら練習しました(笑)」とのこと>