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Interviewsアスリート・インタビュー

日本一決定戦で見た2つの「忘れられない光景」 2部時代を知る主将が語る6年間の軌跡

ジェイテクトStingers主将・宮嶋航太郎

今回のアスリートインタビューは、2月をもって202223年シーズンの幕を閉じたバドミントンの現場から。国内最高峰の団体戦「S/Jリーグ」で準優勝したジェイテクトStingersの主将・宮嶋航太郎選手に話を聞きました。

今季のチームは格上とされた強豪を打ち倒し、初めて日本一を決める舞台にまで上り詰めました。優勝決定戦では惜しくもトナミ運輸に敗れたものの、堂々たる過去最高成績を収めています。

宮嶋選手が入団した2017年当時、ジェイテクトは日本リーグ2部(現・S/Jリーグ)を戦っていました。そこからわずか6年。チーム史に残る躍進の背景には何があったのか。

変遷を知る28歳の言葉から、核心に迫ります。
(インタビュー日:2023年2月23日)

「環境、意識、自信」…悔しさとともに実感する確かな手応え

接戦に終止符を打つネット際の一打を号砲に、歓声を上げてコートへなだれ込むトナミ運輸の選手たち。その様子を脇目にうずくまり、肩を落とすチームメートの姿-。

12。最終試合の第2ダブルスで若手ペアが敗れ、トナミ運輸のリーグ5連覇を許したS/Jリーグ優勝決定戦。ベンチから見たあの光景を思い出すと、たまらない悔しさが蘇り、第1ダブルスを落とした自身の責任を痛感する。

一方で、つかの間のオフシーズンを迎え、人心地ついた今だからこそ改めて思う。

「こんなに早くあの舞台にたどりつくなんて、夢みたいだ」。

宮嶋航太郎の脳裏に浮かぶのは、まだ新人選手だった6年前の記憶。下部リーグを戦っていたチームはその後、「環境が変わり、意識が変わって、自信を手に入れた」。

手探りで、時に惑いながらも前進を続けたジェイテクトの6年間。その道のりの正しさを証明したシーズンを振り返った主将は「今までチームとして積み上げてきたものがうまくはまった。特別な1年だった」と何度もうなずいた。

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S/Jリーグ優勝決定戦でガッツポーズを見せる宮嶋航太郎=2023年2月12日、さいたま市のサイデン化学アリーナで

「練習に人がそろわない」… 選手と会社員の両立に苦労した新人時代

明治大3年の冬、初めて練習参加に訪れたジェイテクト体育館(愛知県刈谷市)の様子は今も忘れない。

「とにかく、全然人がいなかった」。

当時の選手たちはフルタイムで業務に励み、時には残業をこなしてからトレーニングに加わることが常だった。

練習が始まるのはとっぷりと日も暮れた午後7時ごろ。それにもかかわらず、開始時刻に間に合わない選手が数多くいた状況に「社会って厳しいんだなって、思い知らされた」。

「男子ダブルスの大学日本一」という肩書とともに加入した宮嶋も例にもれず、入社後は職場においても「戦力」として扱われた。配属先は工作機械のカスタマーサポート部。自社商品を導入した顧客のアフターケアから営業的な役割まで、幅広い業務を担った。

バドミントン選手である前に、社会人としての壁にぶち当たり、心が折れかけたこともある。

「実際に1人でお客様のもとに向かって、うまく対応できなくて、現場でめちゃくちゃ怒られて」。

残業までこなしてから練習へ向かい、連日午後10時ごろまで体育館で汗を流した。フルタイム勤務と競技の両立が当然のように求められた時代だった。

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日本リーグ2部の試合でプレーする宮嶋㊦

階段を上るチーム コロナ禍で暗雲

宮嶋がジェイテクトに入団した2017年は、近年のチーム史における大きな変革のタイミングでもあった。

 この年、トナミ運輸から平田典靖(現・監督)が選手兼コーチとして加入。男子ダブルス日本代表の主力として鳴らしたトップ選手が加わった効果は大きく、チームは日本リーグ2部で全勝優勝を達成した。1963年の創部以来、初となるトップリーグ昇格をつかみとった。

平田が徐々にコーチ業に軸足を移すようになっても健闘は続く。S/Jリーグ初参戦の201819シーズンは10チーム中6位。1920シーズンは7位と中位に甘んじたが、入団3年目の宮嶋はリーグ敢闘賞を受賞。オフにはミックスダブルスで日本代表経験のある権藤公平(現・チームマネジメントスタッフ)がトナミ運輸から加わった。

既存選手の突き上げと経験豊富な新戦力の補強で体制が整い、新シーズンに向けて躍進の気配が漂った2020年春。そんな期待を嘲笑うかのように、新型コロナウイルスの流行がスポーツ界をのみこんだ。

2部リーグ優勝.jpg2017年の日本リーグ2部で優勝し、歓喜に沸く選手ら

差し込んだ光明 練習環境改善に希望

プロ野球やサッカーJリーグが無観客でのリーグ開催を決断する中、秋開幕のS/Jリーグは2020年7月時点で中止が決まった。

同時に、公式戦の開催中止が相次ぐ日々が始まった。キャリアの絶頂期に差し掛かっていた宮嶋も「練習を重ねても、自分たちは本当に強くなっているのか確かめられない」という焦燥感に駆られるようになった。

希望が見えない状況の中、一筋の光となったのが、選手の勤務形態の見直しによる練習環境の改善だった。2021年春から選手が業務に携わる時間が大幅に短縮され、午後2時から練習に打ち込めるようになった。大会の直前期には終日練習も可能になった。

諦めてたまるか―。

選手らのそんな思いを背に、中心となって環境改善のための働きかけと調整を続けていたのが、日本リーグ2部時代から監督を務めてきた石井裕二(現・総監督)だった。

石井は公式戦が開催されない中、緊張感のある試合の機会を少しでも増やすべく、独自の実戦の場も企画。国内のトップチームと連携し、安全な交流大会の実現にも漕ぎつけるなど、コロナ禍においても精力的な活動で選手たちを鼓舞していた。

「石井さんの地道な頑張りが基盤となって、いろいろなものが形になった。感謝しかない」。

間近でその背中を見つめてきた宮嶋の言葉にも、自然と熱がこもる。



コロナ禍真っ只中の2020年12月に公開された動画

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