Interviewsアスリート・インタビュー
遅咲きの挑戦者‐佐藤圭一が見つけた、自分だけの道
パラアスリート 佐藤圭一
極限の自然と向き合い、自らの身体と心を研ぎ澄ませながら、世界の舞台に挑むアスリートがいます。
クロスカントリースキー、バイアスロン、そしてトライアスロン――。
三つの競技をまたぎ、季節が巡るたびに戦うフィールドを変えながら、走り続けている...
その名は佐藤圭一。
春から夏は灼熱のロードを駆け、秋から冬は雪上で己を削る。常識では「無謀」とされる夏季・冬季競技の両立に挑むのは、限界の先にしか見えない景色があると、彼が誰よりも知っているからでした。
今回、我々はパラアスリートにとって特別なシーズンの真っただ中にある佐藤圭一選手に話を聞きました。競技への想い、日々の鍛錬、そして“挑戦すること”の意味とは何なのか。
――挑み続ける者には、理由がある。
運命の扉は、ある日ふいに開いた
佐藤の幼少期は、スポーツとはまったく無縁だった。中学生のころから住み込みで新聞配達の仕事に就く。薄暗い朝の空気を切り裂き、同じ道を同じ自転車で走る日々。「生きていくだけで精一杯」――その言葉が、当時の彼のすべてだった。
高校は通信制。仲間と汗を流す部活もなければ、青春らしい瞬間も多くはない。それでも自分に与えられた環境の中で黙々と日常を積み重ねていくしかなかった。ある日、新聞を仕分けているとき、紙面の一記事が目に留まった。
長野パラリンピックの記事。気がつけば、青春18きっぷを握りしめ、長野行きの電車に乗っていた。
クロスカントリースキーの選手たちが雪を蹴り、前へ進む姿。誰に命じられたわけでもない。ただ「見たい」と思ったから足を運んだあの場所で、彼の胸の奥に、初めて小さな炎が灯った。これが、パラ競技との最初の出会いだった。
“挑戦したい“その衝動は、抑えようとしても抑えられなかった。そして彼は、人生で最も大胆な決断をする。準備は何一つない。今ほどネットが普及していないため情報もない。あるのは、あの日長野で感じた胸の高鳴りだけだった。

“自分を許せた”場所
日本にいた頃、佐藤の中には、いつもある“重さ”があった。“左手に障がいがある自分は、誰かに迷惑をかけるのではないか”。“周囲にどう思われるのか”。そんな思いから、自分が自分を縛ってしまっていた。そのことに、当時は気づけていなかった。しかし、カナダへ飛び込んだことで、彼の世界は変わりはじめる。
「それは、絶対に書かないほうがいい」。怒られているのか?責められているのか?佐藤は理解できなかった。
しかし、その発言の理由はまったく違った。「あなたを“障がいのある人”として雇うのではない。あなたの“できること”を見るから大丈夫だ」。その瞬間、胸の奥にあった硬い殻がひび割れた。日本では“配慮”が前面に出ることが多くある。だがカナダで出会った職場では“できるできない“ではなく、“あなたはあなたとしてどう働くか“それだけを見ようとしてくれる。「初めて、生きやすいと感じた」。佐藤はそう語る。
カナダでの日々は、佐藤にとって自分を受け入れ直すための時間にもなった。無理に健常者と同じ基準を追わなくていい、できる範囲で誠実にやれば、ちゃんと届く、障がいは“説明すべき欠点”ではなく“自分の一部”。日本では見えなかった景色が、そこにはあった。「比較じゃなくて、その人ができるベストを評価する文化なんだと思う」。佐藤の声には、どこか安堵のような温かさがある。
そしてその心の変化が、後に夏季・冬季競技の二刀流へ挑むという道につながっていく。