Interviewsアスリート・インタビュー
「あと一歩」を繰り返して強くなる ― ロサンゼルスへ続く、静かな覚悟
レスリング女子フリースタイル76㎏級・松雪 泰葉
今回のアスリート・インタビューではジェイテクトレスリング部 松雪 泰葉選手の取材のため、練習拠点である東京都北区の安部学院高等学校レスリング部道場を訪問しました。
松雪 泰葉選手は、アスリート・インタビューVol.8に登場した松雪 成葉さんの双子の姉です。
双子の妹・成葉さんが語った、20年の競技人生と新たな挑戦。その隣で、同じ時間を、同じマットの上で生きてきた姉・泰葉選手もまた、自らの夢を追い続けています。
世界の舞台を経験しながらも、あと一歩届かない悔しさを何度も味わってきた。
それでも立ち止まることなく前へ進み続ける理由とは。
(インタビュー日:2026年5月26日)
惜敗直後 ― 「勝ちたかった」からこそ見えた課題
遡ること半年前。松雪 泰葉は、2025年12月の天皇杯全日本レスリング選手権大会でパリオリンピック金メダリスト・鏡 優翔選手との決勝を制し、悲願の日本一に輝いた。
そして5月21日(木)から24日(日)にかけて開催された2026年明治杯全日本選抜選手権。ここでも松雪が優勝すれば、今秋に地元・愛知県で開催されるアジア競技大会とカザフスタンで開催される世界選手権への出場権を獲得できる。
決勝の相手は再び鏡選手だった。
結果は惜しくも敗戦。天皇杯勝者と明治杯勝者が割れた。これによりアジア競技大会と世界選手権の代表を決めるプレーオフがその日のうちに行われた。しかし、ここでも松雪は競り負け、両大会への切符を逃した。
これまで積み重ねてきた努力の成果が、6分間の勝負で決まる――。レスリングという競技の厳しさを改めて突きつけられる結果となった。
この激戦からわずか二日後、束の間のオフに入る松雪は穏やかな表情でインタビューに応えてくれた。
休みの日の過ごし方を聞くと、「家で何もしないことが多い」と笑う。地元・愛知県刈谷市に帰省すると、ジェイテクト男子バドミントン部ジェイテクトStingersの練習に参加することもあるという。
そのきっかけは、ケガの影響で思うように練習ができなかった昨年9月のこと。レスリングの大会でもサポートを受けているジェイテクトStingers吉田 成仁トレーナーから、「治療も含めて、一度愛知県に帰ってトレーニングをしてはどうか」と勧められたのが始まりだった。
バドミントンとレスリングでは身体の使い方、特に足さばきが全く異なる。バドミントンでは前後に素早く移動するための「クロスステップ」が基本だが、レスリングでは足をクロスさせると相手に技を掛けられやすくなるのでご法度。また、レスリングの試合時間は第1ピリオド3分と第2ピリオド3分の計6分だが、バドミントンは3ゲームで1時間ほど。
「バドミントンは試合時間が長いこともあって、Stingersの練習時間は長くてハード。その間、ずっと動き続けていられることはすごい」と感心する。
他競技での身体づくりに触れ、西本 拳太選手をはじめ、世界中を飛び回っているトップ選手と共に時間を過ごすことは、自身のレスリングにとって良い刺激になっているという。
<Stingersの選手とのレスリング対決では「意外と古賀 輝選手が手ごわかった」とのこと>
「ゲームや他のスポーツでも、勝てたらラッキーと思う程度で、あまり勝ち負けにこだわらない性格」と話す松雪は、惜敗直後にもかかわらず明るい笑顔を見せる。しかし、明治杯について話が及ぶと、その表情に悔しさがにじんだ。
「率直に、勝ちたかったです」。そう言って、冷静に決勝を振り返った。
第1ピリオド、ポイントを先取したのは鏡だった。そのまま第2ピリオド残り1分30秒まで1-0でリードを保ち、さらに2ポイント目を奪う。
ここまでの展開について松雪は、「点差は想定内。焦りはありませんでした」と振り返る。その言葉通り、鏡の攻勢に対し、鮮やかなカウンターを決め、2ポイントを奪取。スコアを2-2の同点に戻した。
ポイント数が並んだ時点で、直前に得点した松雪が優勢。このまま試合が終われば、勝者は松雪だった。
だが、五輪王者も譲らない。わずか23秒後、鏡は押し出しで1ポイントを追加し、再びリードを奪う。マットには選手たちの汗が滴る。
追い込まれた松雪は果敢に攻め続けたが、残り10秒の時点で、スコアは2-6。この瞬間、プレーオフを見据えて気持ちを切り替えていたことを明かした。
そして続くプレーオフ。松雪は一時、試合の主導権を握り、ロースコアゲームに持ち込みながら勝利への道筋を描いた。しかし、鏡の猛攻をしのぐ中で逆転を許してしまう。
一瞬訪れた勝機にも、ほんのわずかに手が届かない。逆転を目指して攻撃を仕掛け続けたものの、鏡選手の堅い守りは最後まで崩れなかった。
こうしてアジア競技大会と世界選手権の代表の座は松雪の手からこぼれ落ちた。
歓喜と悔しさを分けたのは、その“あと一歩”だった。「自分の形に持ち込むためのプレッシャーを最後までかけ続けられなかった。そこがすべてです」と敗因を分析する。
それでも、この敗戦は確かな気付きをもたらした。
「得点能力の差と相手の守りの強さを実感しました。タックル以外でも点を取る方法はある。そこをもっと突き詰めていきたいです」。
ロースコアで試合をコントロールするスタイルを軸に、新たな得点パターンを身につけることが次の課題だ。
悔しさにとらわれるのではなく、次の成長への糧にする。
その心の強さは、いったいどこから生まれるのだろうか。彼女の原点を探っていきたい。
北京で灯した、オリンピックへの憧憬
松雪がトップクラスのレスリング選手になるのは極めて自然なことだった。
3歳の頃より、父が指導するクラブで兄・泰成と双子の妹・成葉とともに競技に打ち込み始める。
週末になれば全国各地へ。夜中に車で出発し、試合を終えて帰る日々を繰り返していたので、物心つく頃には、レスリングは「生活の一部」になっていた。
レスリング一家の松雪家であるものの、家庭ではレスリングの話を一切しない。兄妹同士でも、「お互いの結果はあまり気にしないようにしていました。同じ日に試合があるので、自分のことに集中していましたね」とのことで、ライバル意識などもなかったそうだ。その背景には、家族なりの距離感と、互いを尊重する空気があったのだろう。
さて、これまで数々の試合で結果を残してきたにも関わらず、勝ち負けにこだわらない性格のためか、印象に残っている試合は特にないと話す。
そんな彼女が、「自分の試合ではないですが・・・」と続けたのは、小学校6年生の頃の記憶。
その光景は、少女の胸に大きな憧れを刻んだ。
「女子レスリングがオリンピックの正式種目になったのは2004年のアテネオリンピックです。そこから日本の女子レスリングは全盛期を迎えることになるのですが、ラッキーなことに、私はその次の2008年北京オリンピックを現地で観戦することができました。吉田 沙保里選手、伊調 馨選手らが大歓声の中で勝ち続ける姿がすごく印象的で、あの瞬間から、『オリンピック出場』という夢が生まれました」。
その想いを胸に、着実に実績を重ねる。中学時代には全国中学選抜選手権やジュニアクイーンズカップ、全国中学生選手権、全日本女子オープン選手権と数々の大会で優勝を飾り、レスリングの名門・至学館高校へ進学。
ここから、松雪の競技人生は一気に世界へと近づく。
175㎝という恵まれた体格を生かし、高校1年生の頃から日本代表選手のスパーリングパートナーを務める機会を得たことで、世界選手権にも帯同し、トップレベルの舞台を間近で見ることになる。
「『早くこの舞台に立ちたい』と強く思いました。あのときの経験が今につながっています」。
優勝が当たり前の先輩たちに、スパーリングパートナーとして必死に食らいついていった。そこで培った粘り強さこそが、後の飛躍を生む。
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