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「滑り続けることで、自分を超えていく」―スケートボードに乗せる想い、それを支えるトライボロジー

松本 浬璃(プロスケートボーダー)

Interview

茨城県笠間市にある『ムラサキパークかさま』にやってきました。
今年2月に公開したJTEKT  STORIES『音楽の世界でも足元から支えるベアリング』では、LUNA SEAの真矢さんのドラムセットにジェイテクトが手掛けるNiNjAベアリングが使用されていることを紹介しました。このNiNjAベアリングの本領はスケートボードの世界。

今回はNINJA×JTEKTライダーとして活躍する18歳のプロスケートボーダー・松本 浬璃選手の夏休みに密着。彼のスケートボードに懸ける青春の軌跡をたどりました。
(インタビュー日:2025年8月27日)

<プロフィール>松本 浬璃(まつもと・かいり)
2007年2月16日生まれ。茨城県出身。
2016年AXIS 第1回大会 KIDS クラス 優勝を皮切りに、2017年YAGO ミニランプコンテスト 中級者クラス 優勝、2018年Santa Clarita スケートボードアマチュア大会 優勝(アメリカ)といった数々の戦績を残し、2019年にプロ資格を取得。
昨年、アメリカ合衆国フロリダ州タンパで開催されたTAMPA AM 2024では世界5位の成績を修めた。

Main Theme

スケートボードに見るトライボロジーの真髄

高速回転するウィール、滑らかなグラインド、繊細な着地―スケートボードの動きには、摩擦・潤滑・摩耗対策といったトライボロジー(摩擦学)の原理が息づいています。
NiNjAベアリングが支えるその精密な動作は、まさに"足元から支える技術"の真髄を体現しています。

Index

■"ハンマートリック"に込めた覚悟と美学
■父の庭から世界へ。滑り出したスケートボード人生
■ずっと回り続けてくれる、信頼のNiNjAベアリング
■描いた軌道が、誰かの道になる

"ハンマートリック"に込めた覚悟と美学

インタビュー当日、浬璃が披露したのは、まさに"ハンマートリック"と呼ぶにふさわしいダイナミックな滑りだった。
最後に決めたのは、レールに対してボードを垂直方向に向け、車輪ではなくボードのお腹部分でスライドするバックサイドリップスライド。

一発勝負が求められる大会では、多くの選手がこの技を1回組み込むかどうかが基本の中、彼はそれを2回、3回と組み込んでくる。
「大きいハンドレールが好きなんです。怖さもあるけど、それを乗り越えたときの達成感が凄い」
その言葉の裏には、技術だけではなく、リスクと向き合いながらも挑戦し続ける精神力が宿っている。スケートボードは、ただのスポーツではなく、彼にとって"自分を超えるための手段"なのだ。

父の庭から世界へ。滑り出したスケートボード人生

浬璃がスケートボードに出会ったのは、わずか3歳の頃。サーファーだった父の影響で、サーフィンやスノーボードと並行して"横乗り"の英才教育が自然と始まった。

彼はスケートボードとの出会いとともに、才能が芽吹く。
例えば「キックフリップ」という空中でスケートボードのデッキを裏返すように1回転させる技は、一般的には習得までに数か月を要すると言われている。それをなんと浬璃は、技の練習を始めてわずか7日目で習得したのだった。
そんな息子の可能性を感じ取った父は、自宅の庭に手作りの"ランプ"を設置し、彼の練習動画を撮影し続けた。ランプとはジャンプやトリックを繰り出すために使われる半円状に湾曲したセクションで、ここが彼の成長を支える原点となった。

この話から、父は浬璃の成長を最も近くで支え続ける伴走者であることは間違いないのだが、「家のすぐ前が海なので、お父さんは僕にサーファーになってほしかったみたいです・・・」とのこと。
父の願いを良い意味で裏切り、浬璃のスケートボード人生は加速していく。

スケボー_01自宅パーク.jpg

<浬璃の自宅の庭だった場所。父が手作りしたランプは現在、スケートボードパーク専門の建築集団であるMBM PARK BUILDERSによるアップグレードが加わり、スケートパークさながらの本格的な造りになっている>

「僕にとって初めての大会は、小学校3年生で出場した『FLAKE CUP』です。日本最大級のスケートボードコンテストであり、キッズスケーターの登竜門と言われる大会なので、同世代の子たちがたくさん出場していました。そこでは思うような結果が出なくて、めちゃくちゃ悔しかったんです。その悔しさが、今の自分の原動力になっています」

大会が終わってからというもの、朝は登校前に30分、部活動には入部せずに帰宅後は暗くなるまで自宅横のお手製ランプで滑る。そんな小学校・中学校時代を過ごした。

スケートボードはスポーツの中では珍しく、コーチをつけずに技を磨く選手が多い競技だ。
浬璃も例外ではなく、彼が技を学ぶ手段は、憧れの選手のYouTube動画と、父が撮影してくれた自身の練習映像。
YouTubeの再生速度を落として、じっくりと技を観察し、ひとつひとつ真似る。そして、自分の滑りを映した動画を見返し、改善点を自ら探る。そこに父からのアドバイスが加わる。このサイクルを繰り返すことで、浬璃は技を自分のものにしていく。
ムラサキパークかさまができるまでは、周囲にスケートボードをする友達が全然いなかったこともあり、 当時を振り返ると"楽しい"という気持ちは正直なかったという。悔しいから、もっと練習して、もっと上手くなりたい。そういう負けん気の強さと向上心とが原動力となり、スケートボードを走らせ続けていた。

彼が大きな転機を迎えたのは、あの悔しさから3年経った2019年のこと。
浬璃は『全日本アマチュア・スケートボード選手権』の決勝の舞台に立っていた。
この日までに数々の大会を勝ち抜く必要があるため、全日本アマに出場すること自体が難関なことであるが、決勝で8位までに入賞できればプロに昇格できるという大事な一戦。

全日本アマ出場に向けて、これまで以上にハードな練習を重ね、大きな怪我もした。
それでも「これを乗り越えた先にしかプロへの道はない」という覚悟と努力が、彼を8位入賞に引っ張り上げた。

小学校6年生の秋、浬璃は見事、AJSA(一般社団法人日本スケートボード協会)公認プロ資格を獲得したのだった。

スケボー_02全アマ.jpg

<集合写真右端が浬璃。写真提供:Yoshio Yoshida/AJSA>

高校は親元を離れ、新潟県のスケートボード部がある開志国際高等学校に進学した。
同じ道を目指す仲間と共に、世界大会レベルのセクションが整う充実した練習環境に身を置くことで、着実に実力を伸ばしていき、高校2年生だった2023年にはパリ・オリンピック予選を兼ねた大会である『World street skateboarding Dubai 2023』に出場、翌年アメリカで開催された『2024 TAMPA AM』で5位入賞を果たすなど、あっという間に世界に羽ばたいていった。

ずっと回り続けてくれる、信頼のNiNjAベアリング

スケートボードには、足を乗せるデッキの素材、ウィールの硬さや直径、ウィールの中で回転を支えるベアリングといった、滑りに影響を及ぼすパーツは様々存在する。それぞれのパーツを色々と試してみて、自分の滑りに合う物を選んでいく。

浬璃の活躍を足元で支えているのが、NiNjAブランドのベアリングだ。繰り返しになるが、NiNjAブランドの全ラインナップにはジェイテクトのボールベアリングが採用されている。

浬璃が愛用するモデルは、摩擦抵抗を極限まで抑えた「BADDEST SPEED CERAMIX」。耐久性と滑らかさに優れ、砂や水が入っても、専用オイルを差して手入れをすれば軽やかな回転が復活するという信頼のベアリングだ。

スケボー_03baddest_ceramix.jpg

「僕はスケートボードを始めたころからNiNjAベアリングを使っています。何度か他のメーカーのベアリングを試したこともありますが、NiNjAベアリングとは滑りやすさも耐久性も全然違いますね。やっぱこのベアリングが一番信頼できます」と話す浬璃。
具体的にどのような魅力があるのか聞くと、
「一般的に、ベアリングは1か月くらいで交換する人が多いと思います。早い人だと、1日でダメになっちゃう人もいるみたいです。僕も、他のメーカーのベアリングを試したとき、大きいステア(高低差の大きい段差)を飛ぶとすぐに割れたり、砂が入ると回らなくなったりしたことが気になりました。
でも、今使っているNiNjAベアリングは、この間なんて、イベントの最中にボードが水の中に落ちてしまったのですが、オイルを差したらすぐに回復してくれて・・・。そこから2か月くらい経っているのに、開封したての頃と変わらず回り続けてくれます」と、たっぷりNiNjA愛を語ってくれた。

「他のメーカーのベアリングを試しても、結局NiNjAベアリングに戻ってきてくれる方が多いんですよ」と、同席していた、NiNjAベアリングのブランディング並びに販売を行っている株式会社JMの森社長も嬉しそうに言葉を添えた。

パーツ選びに強いこだわりを持つ浬璃であるが、今回ジェイテクトの取材を受けることが決まって初めて、ベアリングが自動車や機械、身近な電化製品にも使われていることを知ったそうだ。
そしてNiNjAベアリングがドラムセットの中にも使われていることを伝えると、「僕はずっと、ベアリングをスケートボード専用の部品だと思っていたので、ベアリングを通じて様々な産業や世界とつながっている気持ちになれて凄い!」と驚きを隠せない様子。

「これから、NiNjAベアリングにどんなことを期待しますか?」と問うと、「お世辞ではないですが、"今が完璧"というくらい完璧すぎるので・・・。これ以上直してほしいところなんて何もないですよ。NiNjAブランドのウィールもあったらもっと嬉しいです」という、真っすぐな感想に、筆者は思わず笑みがこぼれた。

「世界中にNiNjAベアリングの凄さを知ってもらえたら嬉しいので、海外の大会でアピールできるように頑張りたいです」と、意気込みもバッチリだ。

スケボー_04NiNjAと松本.JPG

浬璃は技を磨くことの他に頑張っていることが二つあると教えてくれた。

「スケートボードの楽しさをたくさんの人に届けるためには、その魅せ方の工夫も必要だと思います。なので、今は専門学校で映像の撮り方や編集の勉強をしています。普段、ストリート映像を自分で撮影していますが、今日はドローンで撮影してもらったので、新鮮な感じですね。
それから、英語の勉強をずっと頑張っています!僕のSNSに寄せられる海外ファンからのコメントにもできるだけ返信をして交流を深めたり、海外の大会で各国の選手と積極的に会話することで技のアドバイスをもらったりしています」

ファンの応援が、浬璃を支えている。新しい技や難しい技を上手く滑れたときの達成感はもちろんだが、スケートボードを通じて様々な年代・国籍の人たちと交流ができることも、この競技の魅力である。

描いた軌道が、誰かの道になる

浬璃は今後の夢をこう語った。

「25歳くらいまでに、オリンピックはもちろん、世界最高峰のプロツアー『STREET LEAGUE SKATEBOARDING』でメダルを取りたいです。それから、他の選手と同じ技だけをやっていては評価されないので、見ている人を飽きさせないような技や雰囲気で有名になっていけたらいいな、と思います」

浬璃が追い求める唯一無二のスタイル。その先に、"浬璃"という名前が技として刻まれる日が来ることを、心から楽しみにしている。

インタビュー当日のムラサキパークかさまには、夏休みということもあって、たくさんのキッズライダーたちが滑りに来ていた。
子どもたちの元気で無邪気な滑りを見ながら、「僕は、あそこの小さなセクションで新技を試し、そっちの大きなセクションで本番さながらの練習をして・・・夜遅くまでこのパークで過ごしていました。やっぱり最初は楽しんでもらうことが一番。このパークからプロのスケートボーダーが増えてくれたら嬉しいな」と浬璃はつぶやいた。

2021年にオープンしたムラサキパークかさま。同じ年の12月、『日本スケートボード選手権 ストリート本戦』が開催され、当時中学2年生だった浬璃は見事、準優勝に輝いた。
「祖母や、祖母の友人たちがテレビ中継を観ながら応援してくれていたみたいで、家に帰ったら『おめでとう』と言ってもらえたことが嬉しかったです」と、ムラサキパークかさまでの思い出を振り返る。


地元の人々の応援は、彼の挑戦を支える大きな力となっている。
茨城から世界へ。彼の挑戦もまた、次世代のスケーターたちに希望を与えている。

浬璃の言葉には、技術以上に"人間としての強さ"が滲む。
怪我をしても滑りたい、悔しさをバネに努力する、地元の声援を力に変える----その姿勢は、スポーツを超えて、人生そのものに通じるものだと感じた。

彼の滑りは、ただの技術ではなく、想いの結晶。
これからも、浬璃の飛躍をジェイテクトのベアリングが支えていく。

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